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インフェルトの論文で一番有名なのは、
「ボルン-インフェルト
理論」と呼ばれる理論です。
これは、彼がアメリカに来る少し前、
ロックフェラー奨学金を貰ってイギリスに短期留学していた時、書いた物です。
(やっ
ぱり、奨学金だけが頼りだったのですね。)
マックスボルン教授との共同論文です。
、、、
マックス ボルン 先生 は、ユダヤの血が少し混ざったドイツ人で
草創期の量子力学の立役者のひとりです。
波動関数の二乗が電子の存在確率である、
という「確率解釈」でノーベル賞を取りました。
(今
では、あたりまえとされています。)
ドイツのゲッチンゲン大学の教授だったのですが
ナチスのユダヤ人排斥に抗議して辞職、
イギリスに渡って、ケンブリッジ大学の講師になりました。
(かっ
こいいなぁ、、、)
Max
Born 1882~1970
左は若い頃、いかにも怖そうな、、、。 右は、お爺さんになった頃。丸くなった
ね(^_^)。
ボルンとインフェルトの出会いは衝撃的です。
インフェルトは、有名なボルン先生の集中講義に通っていた。
ボルン先生の電子の質量についての論文の中に
どうしても納得がいかない所があったので
講義の終りに、インフェルトがちょっと質問をした所、
ボルンはなぜか、突然、烈火の如く怒りだし、
インフェルトは、わけがわからず、うろたえるばかり、、、。
しまいには、お互いの人格を傷つけ合う程の「けんか」になってしまった。
インフェルトも、少々生意気だったのかもしれませんが、
ボルンは、他の人とも、このようなトラブルを起こしています。
短気だったんですね。
翌日、ボルンはインフェルトに会うと、
「君の言う事が正しかった、ゴメン」と、これまた子供のように素直に謝り、
ボルンとインフェルトはそれ以来、無二の親友となりました。
(年
令が16歳も違うのだが、共同論文を書くほどの親しい友人になったので
す。)
この、とんでもないトラブルを起こした質問こそが、
後日、ボルン-インフェ
ルト理論として結実したのだった!
これはこれは、世の中、何がどう幸いするか、わからないものですな。
そのボ
ルン-インフェルト理論が、最近、非常に注目されているらし
い。
超弦理論と関係があるそうです。
、、、
ところで、まことにまったく、どーでもいい話だけど、
ジョーリーン等
で有名な歌手の「オリビアニュートンジョン」はボルン先生の孫です。
ホントです。
(私
は、この事を知ったとき、得意の早とちりをして、こう思った。
「そうか、物理学者の孫か。だから芸名に「ニュートン」なんて、入れたんだ
な。」
馬鹿ですね>俺。
残念ながら、オリビアニュートンジョンという名前は、「本名」なのだ。
あと、ファンによるとオリビアの風貌は祖父のボルン先生によく似ていると
か、、、
私には、ガイジンの顔はみんな同じに見えるので、よくわかりませんが、、、)
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