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インフェルトの顔は、見た瞬間すぐに「ユダヤ人」と分かる顔なのだそうです。
インフェルトの写真を何度ながめてみても、
私には、「ひとりの普通のヨーロッパ人」としか見えない。
我々アジア人には全く理解出来ない事ですね。
(もしかしたら、鼻がとても大きいからだろうか、、、)
インフェルトはそのため、何度も、怖い思いをしたそうです。
道を歩いている時に、「お前はユダヤ人だろう!」と
いきなり怒鳴られた事もあったらしい。
ユダヤ人排斥がどんどんひどくなっていた当時の情勢では、
ポーランドに帰る事は生命の危険すらあったのです。
同じ頃
「不完全性定理」で有名な数学者、ゲーデルは、
チェコ生まれでオーストリアで活躍した人であり、
ユダヤ人とは縁もゆかりもないのですが、
なぜか不思議な事 に、ユダヤ人と間違えられるほど
ユダヤ人的な顔立ちだったので、
たびたび恐ろしい目にあっていました。
(これも当然我々には理解不可能)
それで、彼は生命の危険を感じてアメリカに移住しています。
ユダヤ人差別が、それ程まで、ひどくなってきていたのです。
ゲーデルはプリンストン高等研究所に入所しました。
すでに著名な数学者だったゲーデルは、
インフェルトとは違って正式に研究員として迎えられたようです。
ゲーデルは、尊敬していたアインシュタインに会えて、大感激したそうです。
又、イタリアの物理学者エンリコ = フェルミの場合、
フェルミ自身はイタリア人なのですが、
彼の妻がユダヤ人だったので、
危険から逃れるために
やはり、アメリカに移住しています。
ユダヤ人差別は、ヒトラーのファンであった
ムッソリーニによってイタリアにまでも恐ろしい勢いで
蔓延していたのです。
フェルミは核物理学の専門家だったので
アメリカでは原爆の開発研究をさせられてしまいました。
彼は、毎日のように放射能を浴びていた為、
放射能障害で亡くなりました。
「陽気なエンリーコ」と呼ばれていた彼は、
ユダヤ人差別さえなければ、
アメリカに来て原爆の開発をさせられる事もなく、
大好きなイタリアで楽しい人生を歩んだ事でしょう、、、
数年後には、ポーランドはヒトラーに本当に占領されてしまいました。
もし、インフェルトがポーランドに帰っていたとすれば、
アウシュビッツに送られて虐殺されていたかも知れません。
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