チルンハウス

チルンハウス  Ehrenfried Walter von Tschirnhaus16511708

チルンハウス(又はチルンハウゼン)は昔のドイツの数学者です。
チルンハウスは、ライプニッツ、ニュートン、スピノザ、ホイヘンスらと
交友があったそうです。特にライプニッツとは生涯の友人でした。

チルンハウスは、すべての五次方程式が
5次方程式
という形に変換できる事を証明しました。(ブリング・ジェラードの標準形)
(
チョー難解かつウルトラ複雑。とても、ついていけない。)
これで、当時難題だった五次方程式が解けるまでは、あと一歩だと思われたのでした。
しかし、これを解くには更に六次方程式を解かねばならないという
どうしようもない自己撞着に陥ってしまいました。

 (細かい事を言えば、チルンハウスが消去できたのは四次の項と、三次の項で、
  二次の項まで消去したのは、ブリング氏とジェラード氏です。
  しかし現在では、この変換全体を「チルンハウス変換」と呼び、
  出来あがった上の式を「ブリング・ジェラードの標準型」と呼ぶ事が、一般的です。)


、、、その後、(と言っても100年以上後の事ですが、、、(^o^)~
アーベル、そしてガロアによって、
五次以上の代数方程式には解の公式が存在しない事が証明されてしまった。
残念~~。

チルンハウスの努力は無駄になり、
その名前も、過去の人として忘れられてしまいました、、、。

、、、

だがしかし、歴史は不思議なもので
後に、エルミートという数学者が、チルンハウスの式を利用して
普通の解きかたではないが、楕円モジュラー関数という特殊関数によって
五次方程式の解の公式を作ってしまったのです。(1858)

チルンハウスの努力が、150年余り後に、ようやく報われたのです。

よかった、よかった。

めでたしめでたし。

、、、

チルンハウスは、曲線の研究もしました。

チルンハウス曲線


チルンハウスは光学にも興味を持ち、巨大な集光凹面鏡を作ったりしている。
なんと 16 メートルもあるそうです。

凹面鏡


又、ライプニッツやスピノザと友達だっただけに、
科学哲学にも大きな業績を残したそうです。
(
私にとって、哲学関係は、チョー苦手分野のため、よく知りませーん。(^o^)/~)

、、、、、


だからそれがどうしたっちゅーの?

いや、その、、、(^_^;)
チルンハウスさんは陶芸業界にも多大な貢献をしているのです。

ドイツのザクセン侯国の国王、アウグスト強王は、
(
当時のドイツは、まだ都市国家の集合体であった)
中国や有田の白磁のコレクションに、のめりこんでいました。
王は、ある日突然「よーし、俺も白磁を作ってやる!」と決意したのだった。

august.jpg
この絵は、その人柄をよく表現している。「名画」です(^o^)
アウグスト強王は、強王って言われてる位ですから
昼も夜も精力絶倫で、子供を350人以上作ったそうです。
(350
~、という数字は、公式に認知された数字であって、
 「一夜の、、、」とかいう話になると、それはもう、数えきれない、、、)


それはさておき、
わがまま大王、アウグスト強王は、
当時ヨーロッパ屈指の腕と評判だった、若く有能な錬金術師、

ベトガー Johann Friedrich Böttger(1682-1719)
を城内に幽閉して強制的に研究させる事にした。(ベトガー19)

錬金術師って、いかにも怪しいけど、実際は化学者です。
(
いや、本当にインチキな錬金術師も、たくさん居ま したが、、、)

実は、当時でも、良識ある人々は錬金術はインチキであると、眉をひそめていた。
しかし、錬金術が不可能であることを証明することも、できなかったのである。
かの「ニュートン」でさえも、錬金術に、のめりこんでいたそうだ。
(
ま、ニュートンは「変人」で有名でしたけどね、、、、)

べトガーは、子供の頃から神童と言われるほど秀才で、
教育環境にも恵まれ、将来を嘱望される技術者であった。

しかし、優秀ではあったが、悪癖があった。
それは、
トリックを使って、金(きん)を作るデモンストレーションを行い、
金持ちや貴族連中をだまして研究資金を集めるということである。

それが有名になりすぎて、
ついには国王の目にとまることになってしまったのである。
ベトガー自身も、「金(きん)を作ることなど、出来るはずはない」
と、内心では思ってはいたのでしょうが、、、。

ベトガーの、この「悪癖」が、彼の「数奇な運命」を招いてしまったのである。

、、、


チルンハウスはベトガーの磁器開発に協力しました。
チルンハウスは、数学者にして物理学者、そして化学者でもあり、
純粋に学問的興味を持ったわけです。(すごいなー)

チルンハウスは、ベトガーが開発に乗り出す以前から白磁の研究をしていたので
いわばエキスパートです。ベトガーはこれ以上ない協力者を得ました。
ベトガーは「実用的合成化学技術者」ですから、
チルンハウス先生は、学術的な面で協力したのでしょう。
今の言葉で言うと「産学協同」の、はしりですな。

 

ベトガーとチルンハウス

マイセン窯のホームページより




当時は周期律表(水兵リーベ僕の船)なんて、影も形も無い、化学の暗黒時代。
ほんとうに手探りで、ひたすら実験を繰り返すしか、方法が無かったのだ!!

伯爵という大貴族で、万能の学者であるチルンハウス、
そして、あやしい錬金術師のベトガー。
この奇妙な二人のチームワークは最強でした。

boetger

ベトガーとチルンハウス達が研究に没頭している絵(アルブレヒト城の壁画)。

胸をはだけて、ワイングラスを手に、へべれけに酔っているのがベトガー。
だいじな実験の最中にそんなバカな!三人の弟子が必死で窯を焚いているのに、、、
って、これは、「寓意的」な絵ですから。(最後まで読むとそのわけが判ります。)

望遠鏡で外をながめている後ろ向きの人物が、チルンハウスだそうです。
(
筒のある、いわゆる「望遠鏡」ではなく、二枚のレンズを手に持って遠くを見ています。)
だいじな実験の最中にそんなバカな!遊んでる場合じゃないだろう、、、
って、これは、あくまでも寓意的な絵ですからね(^o^)
ま、チルンハウス先生が光学も研究しているエライ学者なんだよ、っていう意味なんでしょう、、、。

上図は寓意的な絵だから、ベトガーを二枚目のやさ男に描いているけど、
伝記によれば、実際は下の絵のように、かなりエグい顔の男だったらしい。

bottger.jpg

、、、


ところが、
ベトガーとチルンハウスの研究がまさしく佳境に入った時、
不幸にしてチルンハウスは急病に倒れ、まもなく亡くなってしまいました。

ベトガーは途方にくれました。

気まぐれなアウグスト強王に、いつ死刑宣告をされるかわからない恐怖。
しかも、チルンハウスも居ない。
王様にも「ツーカー」で話が出来る伯爵。いつも自分を弁護してくれた兄貴分。
そのチルンハウスは死んでしまった。

絶望的環境で、ベトガーは、それでも研究を続けました。
本当に研究が好きだったので、実験を続けることが出来たのである。


苦心惨憺の結果、
1708
年、見事、白磁の安定的製造に成功しました。

チルンハウスが亡くなる直前の実験で、すでに 一度は
白磁の小さなかけらが実験窯から出ていたのです。
ベトガーは懸命に実験を繰り返し、ついにその製法を不動の物としたのだった。

ベトガー白磁調合表

これはまさしく歴史的なメモですね。(マイセン展のカタログより)

、、、


マイセン窯の誕生です。



マイセンの白磁は、ヨーロッパ中で、またたく間に大評判となり
貴金属的な価格で飛ぶように売れました。
アウグスト強王は、にくたらしい事に、あり余る富をさらに積み重ねたのでした。

チルンハウスとベトガーはガラスの開発にも尽力しました。
現在、マイセンクリスタルという、スーパーブランドになっていますが、
これも又、チルンハウス先生の研究の賜物なのであります。
特に、この赤(ルビー色)は、ベトガーの手柄です。
マイセンクリスタル

、、、

ベトガーは、大いなる成果を上げ、国王に多大な富をもたらした。
(
アウグストは戦争好きな為、国家財政は火の車であったのだが、、、)

それにもかかわらず、
磁器製造の機密漏洩を恐れる国王によって、ベトガーは幽閉を続けられてしまいました。
(
形式的には、「自由な身」という事にしてもらったのであるが、
 
 現実には、「懲役」から「軟禁」になっただけであった。)

しかも、国王のベトガーに対する要求は、ますます苛烈になっていったのである。

栄光から絶望へ、その落差はあまりにも大きすぎる、、、(-_-)


ベトガーは絶望と落胆で、精神に異常をきたし
極度のアル中にもなり、37歳の若さで亡くなってしまいました。


美しいマイセン磁器には、このような悲しい歴史も隠されているのです、、、。


  雑記目次へ

  森水窯ホームページへ