トンネルに入る前から雪国だった
私は体育会系で理科系なので、ブンガクは大の苦手。
たとえば川端康成なんて、どこが面白いんですかねぇ。
と、言っても二冊しか読んでないけど。
(こういう事を書くと、バカだと思われるんだろうなぁ)
そのひとつは、千羽鶴。
なぜ千羽鶴を読んだか、というと、
「志野茶碗が出てくる」と、
陶芸の業界誌で、ちらっと見たからです。
ストーリーは、
「なんてことない話だなあ」という記憶があるだけで
全く覚えていません。
志野茶碗は、確かに出てくる事は出てきます。
志野茶碗について勉強になるかな?
と思って、張り切って読み始めたけど、それが大きな間違い。
ほんのちょこっと出てくるだけでした。
志野茶碗のほかに「のんこう」も出てきた。
”「のんこう」は安い物だから、普段使いにしましょう、、、”
とか言うセリフがあるんだぜ、ホントに。
どういう人種なんですかねえ?千羽鶴の登場人物は。
大富豪なんですかねえ?
それもよくわからないんですが、それが川端ブンガクなんだそうです。
「のんこう」なんて、京都に行って楽焼の窯元を見学した時に
「ガラスケース」越しに、見学した事しか、ない。 私の場合は、、、。
(後日追記、関西落語で「のんこの茶碗」(「金明竹」)の話を聞きました。
その話を聞くと、純
正の「のんこう」ではなくても
関西
では上物の黒楽茶碗一般を「のんこの茶碗」と呼ぶよう
だ。
なので、川端康成を責めるのは、酷かな、、、、?)
志野茶碗の話に戻るが、
実は、この千羽鶴という小説が世に出る以前は
志野茶碗ていうのは、ほとんど忘れられた存在で
瀬戸多治見周辺でも、
作る人は、荒川豊蔵以外には誰も居なかったそうです。
千羽鶴のおかげで、志野茶碗がブームとなり、
そして、志野がメジャーになったんだそうです。
、、、というわけで
荒川豊蔵と川端康成の二人は「志野を世に広めた功労者」
という事になっております。
さて、もうひとつは雪国。
私は北海道生まれで、スキーは少し滑れます。
北海道では全然上手なほうではなかったし、
小学校までしか居なかったので実際は大した事ない。
小学校5年の時に神奈川県に引っ越したのです。
父が北海道では炭坑に勤めていて、クビになったのです。
エネルギー革命って奴ですね。---涙
北海道で生まれたもんだから(道産子ですな)
「スキーなんてものは、家の玄関先から履いて行くものだ」
とばっかり思い込んでいたのです。
東京へ着いた時、
上野駅で、スキーを担いでいる沢山のスキーヤーを見て、
「電車にスキーを積んでスキー場へ行くなんて
なんと酔狂な事をするのだろう、東京の人は」と、思っていた。
ガキの頃の思い出。
玄関先からスキーを履くのだから
ビンディングは当然「カンダハーバッケン」でした。
(ジャンプの選手が使う、
かかとが適度に上がるやつで、ワイヤー式とも言う)
ついでに言うと、我々は金具(かなぐ)と呼んでいましたが
フィットフェルトという物もあって、
こちらの方が古い、というか正統派でしょうか。
金具は、かかとがほんとうにパカパカ上がってしまうので
歩くには良いが、滑るにはとても難しい物です。
ただし、ゴム長靴でも履けるから、便利です。
ゴム長&金具で、きれいにテレマークターンを決めるおじさんが
近所にいて、すごく、かっこよかった。
金具は、今のスキー場では全く見られませんが
自衛隊が使っているので、軍事オタクの方は御存知でしょう。
もうひとつ、ラングリーメン
(langriemenn)っていう物もあって
ようするにこれは、幅1cm位の単なる革のひもです。
革のひもでスキーを足に縛り付けるわけで
転んだ場合
「足が折れるか、スキーが折れるかどっちか?!」
というオソロシイ物です。
アルペン(とは言わなかった。「マゲ」と呼んでいました。曲げるからです。
それに対し、ノルディックの事をレースと呼んでいました)
の選手しか使わない物で
高校生くらいになると、このラングリーメンで大会に出るものでした。
小学生だった私は、ただ、あこがれていただけで
ラングリーメンの様なオソロシイ物は、全く使ったことはありません。
ビンディングの話はこれくらいにして
そんなわけで、北海道から神奈川県に転居した私は、
「スキーをしたい」なんて、露ほども思わなかったのです。
それが、大学生になったら、同級生に誘われて
電車にスキーを積んでスキー場へ行くという
バカまね(東北弁)をする羽目になってしまったのです。
いざスキー場に来て、8年ぶりに滑ってみれば
自転車と同じで、子供の時に覚えていたので、すぐに滑れました。
ヒョコヒョコとウェーデルンなんかやって見せたら
同級生の驚くこと驚くこと。
「お前、初めてと言ってたのに、なんで滑れるんだ?」
「いや、電車で行くなんてのは、初めてだって事さ。」
そして、スキーを思い出したら、一発で「はまって」しまいましたね。
そうなると今度は、上野駅から行けるスキー場を
ひとつひとつしらみつぶしに「征服」したくなってくるんですね、これが。
それでやっと雪国ですが、舞台は越後湯沢ですね。
越後湯沢スキー場を知らないスキーヤーはモグリ
と、言われていましたから、比較的早めに「征服」しました。
上越新幹線なんか影も形もない頃でしたから
越後湯沢の駅前は、なかなか風情がありました。
笑っちゃったのは、民宿も食堂も飲み屋も、やたら駒子と雪国が多く、
というより、ほとんど駒子と雪国ばっかりです。
「どうやって区別するんだよ」
「これでは名前の機能をしていないよな!」
と、友達と笑い合ったものです。
「駒子」は実在
の芸者「松栄」がモデルなのだそうです。
やっぱり、、、かわいいね、、、。
ようやく川端康成です。
その時私は、行く前に「雪国」をちゃんと予習していました。
基本的に根性が真面目なんですよね、私は。
上野から列車に乗り込んでスキーも網棚に上げ、一段落した頃
何度も越後湯沢に来ている友達に
「トンネルを抜けると雪国って言うけど、どのトンネルだ?」と聞くと
友達は「越後湯沢の直前のトンネルらしいよ」
と言うので、待ちかまえていました。
夜行列車だったので、時間設定もピッタリです。
シーズン初めでしたが、寒波が到来していて、とても寒くなりました。
上野駅で、すでに、ちらちらと雪が舞っていました。
高崎あたりから、早くも、所々雪が積もってきていました。
水上を過ぎると、本当に「コンコン」って感じで、大雪が降って来ました。
川端康成の、
そのトンネルを、「抜けた瞬間」に「雪国」になるのを、
私は楽しみに待っていたのですが、、、
トンネルに、入る前からきっちりと本格的に「雪国」になって しまっていて、
友達に「残念でした~!」と 、笑われてしまいました。
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