互賛会について......


互賛会というのは、盛岡市立城南小学校の第53回卒業生の会です。
昭和21年3月の卒業で、前年昭和20年、小学校6年の8月に終戦を迎えました。

互賛会という名前は、卒業の時の担任の先生方がつけられたものですが、なかなかいい名前だと思っています。
会員の中には、南部鉄瓶の“つる”を造って50年(この方は小学校の時から父上の向こう槌をうっておられました)という盛岡になくてはならない名人や、“いのちの電話”で、活躍の女性会員など、多士才々です。


平成19年度互賛会の会合が計画されています。
19年8月8日の予定で、すでに参加者の確定をチェックしている段階です。
もしも、連絡ないがなぁ  という方がおられたら 私にご連絡ください。

でも、今は雫石さんにほとんど任せっきりで 会場も会費も決定ずみです。



訃報です。
 互讃会のタイトルにも紹介した 南部鉄瓶のつる を造って 数々の表彰を受けられた 
 柴田長一郎氏
が17年11月1日 亡くなられました。
数年前、手作り村の 氏の工房でお会いしたのが最後でしたが、今ではお弟子さんもおられて
貴重な わざ も引き継がれたものと思います。

謹んでご冥福をお祈りいたします。



訃報です。
互讃会には、はるばる十和田市からほぼ皆出席だった
  細越雍夫氏が平成16年6月6日亡くなられました。

氏は日大から十和田市の職員になられ、定年後は悠々自適の生活で、芸術活動も楽しまれ、
橘画伯とも親交があったそうです。
20年ほど前に心臓の病を克服され、アイスホッケーで鍛えた体躯がスマートになっておられましたが..残念です。
謹んでご冥福をお祈りします。


訃報です。
 平成16年4月15日 佐川学級だった北川好健氏が亡くなられました。
氏は電電公社に勤務されながら、盛岡一高からさらに岩手大学工学部に進まれた、努力の人でした。
互讃会にもほぼ皆出席だったのが、最後の時の返信に体調不良で欠席...とありました。
  会の名前で弔電を出しておき、志家町の教会での葬儀に出席してきました。

謹んで、ご冥福をお祈りします。


近藤道男さんが今日(15.11.3)勲章貰うよぅ。
  瑞宝単光章です。
先年来お祭りの山車の頭取を務めたりご活躍でしたが、城南卒業間もなくからの、いろいろの業績が評価され、受章になったのでしょう。
互讃会の仲間として、ほんとに喜ばしいことです。
  道男さん。おめでとうございます。


17年の互讃会が、17年5月25日に、盛岡市のホテルニューカリーナで開催されました。
参加の会員は35人でした。
雫石さんの幹事、定番となっています八重樫さんの司会進行でたのしく盛り上がっていました。
残念ながら、浅沼一道先生は欠席でしたが、各参加者全員に見事な揮毫をお届けくださり、橘勝也画伯は出展作品の絵ハガキを持参して配っていただきました。
遠くは東京や埼玉県から参加の会員もおられ大盛会でした。

写真はここにあります。だんだん増やしますからまた見てください。


旧校舎などの写真はここに...。

  昔々の記念写真のありったけをアップしてあります。
  ゲストブックに感想をどうぞ。


 上記のつる作り名人柴田さんは、知る人ぞ知る将棋のほうでは相当に知られた指し手だそうです。
私はさっぱり知りませんでしたが、時々新聞紙上でもお名前を見て、知っている人に確認して、驚きました。
野に遺賢あり..です。

上記のとおり 氏は 亡くなられました。


岩手日報の朝刊に絵入りのエッセーを書いておられる重石晃子さんは、この苗字に心当たりの方も多いと思いますが、1年生の時担任して貰った人もいる、あの重石先生のお嬢さんなのです。
このお嬢さん自身も先生と同じく1年生の時は我々と同じ城南の生徒だったそうです。
 青山美保子さんの外にも世界を駆け回る芸術家がいたんですね。
互讃会  ばんざい...。
 私は中圭先生に  お前は図画工作がどうもなー  と云われ続けて、まけて貰った優等生ですので、尊敬してしまいます。


で、重石さんが、岩手日報の日曜日のコラムにご自分のイラスト入りでエッセイを連載しておられたのが、この6月で終了しました。
さらっとした絵はもちろん、非常に味わい深い文章でした。
絵よりもこつちのほうの才能が...。なんて言った人?いえいえ、そんな人はいませんでしたが。
  これからは、お住まいも盛岡に移して野の花美術館の館長を務められるそうです。
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 そしてその後、7月からその欄を引き継いだのは、なんとなんと.。あの
    青山 美保子さんだったんです よぉ。
互讃会を巡って不思議なご縁ですねぇ。
第1周をみる限り好調な滑り出しのようで期待されます。   がんばれ!!青山さん..。


互讃会のメンバーで、卒業後水泳で活躍された村井よしかず氏、現在は地元の水泳界の役員などの重鎮として活動しておられますが、このよしかずさんのお名前が、昭和21年3月に作成された卒業生名簿で良知となっているのです。(@_@)
あれ...よしともさんだったのか?と思いましたが、..今やサッカーで有名なカズ選手は知良と書いてかずよしですから、
べつにいいですか。...で、村井さんは本当は字はどっちでしょうね。(*_*)
名簿を作った責任者の中圭先生か、担任の佐川先生が間違えたんでしょうかね。(~o~)

 先日、矢巾町の昆さんという方の葬儀で、村井さんが弔辞を述べておられました。
どんなご縁で? と 聞いたら、 保護司のお仲間だということでした。
社会のために、奉仕しておられるのですね。
 ご法事の席で名簿の、文字のことをお聞きしたら、良和だよと言われて名刺も戴きました。
中圭さん間違ったんでねすか。などと言っておられました。 名簿の文字のことは、ご存じでした。 


橘 勝也先生の『緑風の尾瀬』
城南小学校に寄贈されたのは別の、尾瀬を描いた作品です。
そっちは母校で見るように......        (-_-)


誰か 小田島 国夫くんの 消息を知りませんか?
 5年生の時、付属に転校し、後で中学校でまた私と一緒になりましたが、長い月日の間に、お酒のせいなのか大層ご不自由な様子になって、とぼとぼかむしろ よちよちという感じで、歩いているのを町で何遍か見かけました。

 一二度私の事務所に引っ張り上げて、茶飲み話をしたこともあったのですが、その当時(もう10年くらい前になりますか)一人暮らしだぁ。と言っていました。
 その後まったく見かけません。  健在ならいいのですがね。