内藤 敏男氏
私も一緒だった盛岡一高の籠球部で、ほぼ6年間、体育館を駆け回った仲間です。
氏は 終戦直後(と思うけど戦中かもしれない)の小学校6年生に東京から移住され、盛岡中学に進まれました。
戦時に父上を失われ、母上と苦労続きの日々だったと拝察しています。
昭和24年の東京国体の時、高校1年だった私たちも希望して汽車賃を負担すればチームに同行出来ることになりました。
この時の3年生は名選手ぞろいで3回戦まで勝ち進みました。
このころ、私の家は相当な好景気で小遣いタップリで、初めての東京に行かしてもらいました。(まもなく我が家は倒産状態になったけど..)
それでも私は小遣いの使い方をしらなくて殆どのお金を残して帰ってきました。
内藤氏も お家の用事もあって東京に行かれ、私も2,3の荷物を持ち帰る手伝いをしました。
その時、氏の東京の同級生が男女数人で現れて、ぺらぺら と話しているのです。
何か私にも話しかけてくるのですが、田舎者の悲しさ、 おら わがんねぇ と言うのがせいいっぱいでした。
後年、氏の言うには、俳優の 宍戸 錠さんも 同級生で、「 相撲とって遊んだ仲間さぁ 」 だそうです。
これについては、 ふん。しらねぇど思って言いてぇ放題.....という感想をもらす人が多かったのです。
ところがところが氏も勤務され取締役にまで昇任された岩手銀行 の東京支店に勤務していたT.T.氏が日活撮影所を見学に行った時のことです。
その 宍戸 錠さんが 『ん?岩手?盛岡?たしかそこに俺の同級生がいるな、内藤敏男だぁ』と、言われたそうです。
T.T.氏も驚いたそうですが、伝え聞いた我々も驚きました。
ごめん。 でまかせ でも 言いてぇ放題でもなかったんだね。