本稿は、
角川書店刊、世界の人間像、第4巻
真実の探求=アインシュタイン/インフェルト
インフェルト 著 市井 三郎 訳
を要約したものです。
(注)
(1)
インフェルトがポーランドを去る、もうひとつの理由としては、
婚約者ハリナの病死がある。、、、これは彼にとって、
相当のダメージだったらしく、多くのページを割いている。
これだけでも、一編の映画が出来そうな、悲しいお話です。
なお、彼は一人前の学者になってから、
ごく普通の恋愛をして、ごく普通に結婚しています。
彼が初めてアメリカの地を踏んだところの記述は、感動的です。
「それは船上での最後の夜だった。
興奮に溢れた私は眠ることもできずにいた。
、、、(夜明け、面倒な入国手続も、やっと終わって)、、、
それが終わると私は息もつかずに甲板へ走り上がった。
と、急に目の前に自由の女神像がくっきりと浮かび上がっていた。
そしてマンハッタン島の櫛比(しっぴ)する摩天楼、
ハドソン河をゆききする渡し船の群、
数か国語の標識が立った波止場、などが真近にあった。」
又、彼が初めてプリンストン大学を訪れた所も面白い。
これも引用してみましょう。
「私はひと気のない校庭で、数学科を探して歩き回った。
それはファイン・ホールと呼ばれる建物なのだ。
数学と理論物理学とが教えられていて、、、
、、、中略(人が全然いないので困惑しているインフェルト)
ナソー・ホールから、町が見えていた。
そこにはかすかな生命のほのめきが残っていた。
商店は開かれ、街を歩く人々も、二、三はいた。
自動車も一台走っていた。
が、それでもまだほとんど苦痛なまでに静かで、
息を詰めたような空気が漂っている。
私は旅館の部屋を眺めた。
それはポーランドの地方町にでも立っていそうな旅館だった。
古めかしく原始的なのだ。
、、、中略(インフェルトは街に出てきて、その旅館に立ち寄る)
もはや耐えられなくなった私は、お内儀に尋ねた。
「学生諸君はどこにいるんです?どこかへ出ちまったんですか?」
「ええ、全部出てゆきました。」
「どこへ行ったんでしょうかね?」
「たぶんノートルダムでも見にいったんでざんしょ」
私は気が狂ったんだろうか?ノートルダムはパリにあるはずだ。
ここはプリンストンで、しかも通りには、ひと気はない。
、、、中略、、、
にわかに雰囲気全体が変わってきた。
それは一秒の数分の一に起こる不連続な変化だった。
自動車は走り始め、人々は通りに溢れ、はしゃいだ学生達は叫び歌い、
新聞売り子は声高に呼びはじめた。
静けさは荒々しい興奮に変わるのだった。
夜更けまで私は眠れなかった。歌いさざめくわらい声
野卑な物声は、朝になるまで街中に響いていた。
これが、プリンストンと私の初接触である。
アメリカの大学におけるフットボールの重要さを、
私はその第一日目に発見するのだった。」
これは1936年の話なんですから、ずいぶん昔から、アメリカの大学では
フットボールの試合が非常に重要な行事だったんですね。
旅館のおばちゃんの「ノートルダムでも見に行ったんでざんしょ」と言うのは、
「ノートルダム大学との試合を見に行っているんでしょ」という意味だろう。
そして、どうやらプリンストン大学が勝ったようですね。
ノー
トルダム大学はカレッジフットボールでは名門中の名門。(今
でも)
日本の六大学野球で言えば、
たとえば、東大が明治、法政あたりの超強豪に勝ったようなものですから、
まあ、徹夜で大騒ぎするのも当然かも、、、
インフェルトは、さぞ驚いた事でしょうね。
下はプリンストンの紹介ページです。
コーギー犬「シンバ」が可愛いよ!犬好きは必見!
http://www.tanigawa.com/corgi/Princeton/
ナソーホール(歴史的に有名な建物らしい)
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森水窯
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