真剣師 小池重明 (こいけじゅうめい)
真剣師とは金を賭けて将棋を指すギャンブラーの事。
小池重明は、その中でも最高に強かった人だそうです。
「新宿の殺し屋」とも呼ばれたらしい。
真剣師もこのクラスになると、素人相手に戦うわけではない。
真剣師同士やプロの一流棋士と賭け将棋で戦う。
それも、対戦者同士が賭けるだけではない。
競馬の馬券のように周囲の人が対戦者にお金を賭けるのだ。
将棋狂の大社長がスポンサーにでもなれば、一局何十万円にもなる。
それを徹夜で何局も指すのでオソロシイ金額が動くのである。
小池重明は、敗戦直後の貧民窟に生まれた。
母は夜の女。父はアコーディオン弾きの似非傷痍軍人。
生い立ちからして壮絶である。又、それを隠そうともしなかった。
「雨の日、父は皆にアコーディオンを聞かせてくれて、とても嬉しかった。」
「将棋を教えてくれる前に、チンチロリンや花札を教えてくれた。」
等と楽しげに思い出を語っていたという。
二年連続 アマチュア名人になったが、
そのような「名誉」には全く興味を示さなかった。
幻冬社「小池重明疾風31番勝負」(団
鬼六、宮崎国夫著)の背表紙。
1980年10月、アマ名人獲得の日の夜、新宿歌舞伎町を闊歩する小池重明。
(ミラノ座では「アラビアのロレンス」リバイバル上映中)
この得意げな顔を見よ。タバコ吸いながら歩いたりして、ちと、怖いかな?
「新宿の殺し屋」ですからね。自分の縄張りだし、、、。
この日は、大勢のファンや取り巻き、スポンサーの旦那方を引き連れて
朝まで飲み明かしたに違いない、、、。
将棋連盟の本物のプロ達をメッタ切りにした。
棋聖戦挑戦が決まっていた 森 鶏二 八段(当
時)に対
して
手直り三番勝負を挑み、全勝した事は、今でも将棋界の語りぐさである。
(手直りとは一回ごとにハンディを変えて行く事。指し込み戦とも言う。
角落ち、香落ち、そして最終戦は平手すなわちイーブンの対戦であった。)
ただ
し、将棋以外は全くダメな男であった。
世話になっているスポンサーを裏切り、その人の金を盗んで逃げる。
すぐに戻って泣いて謝り、「真剣」で、お金を作って返済。
本人は「借用書を置いて出奔したので、泥棒ではない。」と言いわけしたそうです。
なんとも、あきれるほど子供っぽい。
スポンサーの旦那も、小池のそんな所が憎めず、ついつい許してしまったとか、、、
このような事が何度もあったらしい。
人妻との駆け落ち、なんと三回。
少し金を持つとギャンブルにのめり込み、たちまち借金地獄になった。
賞金付き将棋大会の時は、大勢の借金取りが会場を取り囲んで
小池の優勝を待ちかまえていたという。
森
鶏二との対戦の時も、やはり借金地獄であった。
森
鶏二は将棋界きってのダンディ。ファッション紙に登場したこともあった。
小池
は、よれよれボロボロの服装で、靴下すら買えず、なんと裸足。
プロのそれも当時飛ぶ鳥も落とす勢いの八段に対し、裸足では余りに失礼、
と、
回りの人が心配して、小池に靴下を買い与えたという。
森
鶏二は、そんな男にまさか三連敗するとは思わなかったでしょうね。
プロ棋士への特例的な推薦の話が何度かあったが、
自堕落な為、いずれの場合も自分からブチこわしにしてしまった。
笑ってしまうほど、ほとほと呆れた人生だ。
放蕩の限りを尽くし、44才で孤独に死んだ。
伝記
があります。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4877284591/qid=1110192475/sr=1-7/ref=sr_1_10_7/250-0345303-9427422
幻冬社アウトロー文庫「真剣師小池重明」。
著者は、ポルノ小説で有名であり、かつ、将棋高段者である「団 鬼六」。
団
鬼六(おに
ろく)氏
は、小池の最後のスポンサーの一人でもあった。
小池重明の伝記を書くには、これ以上ふさわしい人は居ないでしょう。
暗い小説、恐い小説だと思うでしょう。
ところが、全く逆。スリル満点で、とてつもなく面白く楽しいのだ。
著名なプロ達を次々となぎ倒す所など、痛快でたまりません。
そして全てが実話なのだからスゴイ。
著者が小池将棋にぞっこん惚れ込んでいた事が、行間からにじみ出ている。
私は、読み始めたら引き込まれ、3時間で読んでしまいました。
小池重明の破天荒な人生は不思議な魅力に溢れている。
将棋それ自体のむずかしい話はぜんぜん出てきませんから、
人生経験を積んだ大人の方々に、是非読んで頂きたい。
アマチュア名人戦 歴代アマ名人
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回 |
年 度 |
氏 名 |
都道府県 |
1 |
1947 |
坪 井 定一 |
愛 知 |
2 |
1948 |
北 村 文男 |
三 重 |
3 |
1949 |
嶋 田 永信 |
北海道 |
4 |
1950 |
山 形 義雄 |
青 森 |
5 |
1951 |
平 畑 善介 |
福 岡 |
6 |
1952 |
若 林 久雄 |
東 京 |
7 |
1953 |
舟 山 正夫 |
福 島 |
8 |
1954 |
上 総雄二郎 |
岡 山 |
9 |
1955 |
津 田 昌宏 |
徳 島 |
10 |
1956 |
木 村 義徳 |
神奈川 |
11 |
1957 |
藤 本 正文 |
奈 良 |
12 |
1958 |
池 田 大助 |
広 島 |
13 |
1959 |
南 川 義一 |
東 京 |
14 |
1960 |
南 川 義一 |
東 京 |
15 |
1961 |
若 松 政和 |
兵 庫 |
16 |
1962 |
花 園 稔 |
京 都 |
17 |
1963 |
白 井 米吉 |
東 京 |
18 |
1964 |
加 賀 敬治 |
大 阪 |
19 |
1965 |
土 屋 奏生 |
東 京 |
20 |
1966 |
佐 藤 芳彦 |
北海道 |
21 |
1967 |
沖 元二 |
大 阪 |
22 |
1968 |
関 則可 |
東 京 |
23 |
1969 |
沖 元二 |
大 阪 |
24 |
1970 |
松 井耕次郎 |
京 都 |
25 |
1971 |
高 野 明富 |
北海道 |
26 |
1972 |
遠 藤登喜男 |
岐 阜 |
27 |
1973 |
花 園 稔 |
京 都 |
28 |
1974 |
西 沢 章 |
山 形 |
29 |
1975 |
三 上 博司 |
東 京 |
30 |
1976 |
芝 稔 |
静 岡 |
31 |
1977 |
小 林 純夫 |
奈 良 |
32 |
1978 |
金 盛 吉美 |
茨 城 |
33 |
1979 |
加 賀 敬治 |
大 阪 |
34 |
1980 |
小 池 重明 |
東 京 |
35 |
1981 |
小 池 重明 |
東 京 |
36 |
1982 |
宮 沢 巧 |
神奈川 |
37 |
1983 |
菱 田 正泰 |
三 重 |
38 |
1984 |
田 尻 隆司 |
広 島 |
39 |
1985 |
田 中 保 |
福 井 |
40 |
1986 |
中 村 洋久 |
静 岡 |
41 |
1987 |
古 賀 一郎 |
佐 賀 |
42 |
1988 |
竹 中 健一 |
東 京 |
43 |
1989 |
宮 本 浩二 |
広 島 |
44 |
1990 |
天 野 高志 |
愛 知 |
45 |
1991 |
菊 田 裕司 |
京 都 |
46 |
1992 |
早 咲 誠和 |
大 分 |
47 |
1993 |
鈴 木 純一 |
神奈川 |
48 |
1994 |
鈴 木 純一 |
神奈川 |
49 |
1995 |
渡 辺 健弥 |
神奈川 |
50 |
1996 |
早 咲 誠和 |
大 分 |
51 |
1997 |
桐 山 隆 |
栃 木 |
52 |
1998 |
田 尻 隆司 |
熊 本 |
53 |
1999 |
瀬 川 晶司 |
神奈川 |
54 |
2000 |
開 原 孝治 |
広 島 |
55 |
2001 |
長 岡 俊勝 |
埼 玉 |
56 |
2002 |
早 咲 誠和 |
大 分 |
57 |
2003 |
山 田 敦幹 |
千 葉 |
58 |
2004 |
山 田 敦幹 |
千 葉 |
このように爽やかな笑顔を見せた頃もあった、、、
撮影
: 弦巻 勝 小学館文庫 小池重明の光と影 (団鬼六著) より
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